東京地方裁判所 昭和59年(行ウ)72号 判決 1986年9月25日
原告 益永利明
被告 国
主文
一 被告は、原告に対し、金五万円及びこれに対する昭和五九年五月四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを五分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金五〇万円及びこれに対する昭和五九年五月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 1につき仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 担保を条件とする仮執行免脱宣言
第二当事者の主張
一 請求原因
1 侵害行為
(一) 原告は、爆発物取締罰則違反等の罪名で起訴され、昭和五〇年七月から東京拘置所に勾留されている刑事被告人である。
(二) 原告は、昭和五九年四月二七日、東京拘置所長に対し、益永幹(昭和四八年八月二六日生、以下「幹」という。)との間の面会許可申請をした。
(三) 東京拘置所長は、同月二八日、右申請を監獄法施行規則(以下「規則」という。)一二〇条により不許可とする旨の決定(以下「本件不許可処分」という。)をし、同年五月二日、原告に対し右決定を告知した。
(四) 幹は、同月四日及び同月七日、いずれも母である益永陽子(以下「陽子」という。)とともに東京拘置所面会受付において、東京拘置所長宛に原告との間の面会を各申請したが、同所長は、幹についてはいずれもその面会を不許可とした。
2 被侵害利益
未決勾留により拘禁された被疑者又は被告人(以下「被拘禁者」という。)と弁護人との面会の権利は、憲法三四条前段、三七条三項に由来し、刑事訴訟法三九条により認められているものである。また被拘禁者と一般人の面会の権利は、訴訟上の用務の処理という側面では憲法三一条に、市民としての生活維持と幸福追求という側面では憲法一三条に、表現の自由という側面では憲法二一条にそれぞれ法的根拠を有しているものである。すなわち、人身の自由を拘束された被拘禁者は、面会の相手との対面、会話等により種々の情報や感情の安定を得るとともに、これらをもとに、自らの意思を形成し、かつ、自らの意思を伝え、これらにより、個の形成を促進し、社会関係との最大の接点を確保、維持することになる。このように面会権は、被拘禁者にとつて、種々の民主制を基礎とした権利行使の前提として不可欠の権利であつて、他の権利に比して優越的地位を有するものである。
3 本件不許可処分の違法性
(一) 規則一二〇条の違憲法
(1) 監獄法(以下「法」という。)五〇条は、在監者と外部の者との面会に関しその制限をすることを命令に委任しているが、同条の「接見ノ立会」という例示及び同条を根拠に規定された面会についての規則一二〇条以下の規定のうち、同条を除く規則一二一条以下の規定の内容からすると、法五〇条は、面会の態様等についての事務的、技術的事項のみを命令に委任したものと解すべきである。
ところで、規則一二〇条の規定の趣旨は、事物を弁別する能力の未発達な一四歳未満の者(以下「幼年者」という。)の心情を害さないためというものとされていて、東京拘置所でも、幼年者が在監者と面会することは幼年者の教育上害があるという教育上の観点で同条が維持、運営されているのである。
そうすると、同条は、幼年者の身心の健全な発達の保障という幼年者の人権保障の側面を有することにはなるが、反面で、在監者と幼年者が面会により双方が友情や愛情や知識を交換し、幸福と慰安を追求するという基本的人権を国家が一方的に制限することにより、幼年者の身心の健全な発達をかえつて害する結果を招くことも十分に考えられる。また、民法八二〇条が規定するとおり、幼年者の教育権はその親にあるところ、規則一二〇条は、国家が親の意思に反して幼年者の教育に介入する場合に該当する。このように在監者と一般人の面会において面会者の年齢を制限することは、その権利侵害性が強いものであつて、前述の単なる事務的、技術的事項ではなく、法律の明文の規定の裏付けを必要とする事項であるというべきである。
以上のとおり、法五〇条による命令への委任が面会者の年齢制限を含むと解する余地はないものであり、規則一二〇条は、法律の委任を超えたものであつて、憲法三一条、一三条、一四条が保障する在監者と幼年者の面会権を違法に制限する規定であることは明らかである。
(2) 規則一二〇条は、実体的にもその存在意義が否定されるべきである。
すなわち、同条が制定された明治四一年当時においては、監獄は施設面でも処遇面でも現在と比べて著しく劣悪なものであつたことは容易に想像でき、そのような悲惨な状態にある在監者に幼年者が直接接することは、その幼年者に心理的傷を負わせる可能性が少なくなかつたであろうと一応推定することができる(もつとも、この場合でも在監者がどのような悲惨な状態にあつたとしても、子が親に対面して言葉をかわす方が、それを避けるよりも子の心身の健全な発達にとつてプラスになる場合が少なくなかつたであろうことも容易に推定できる。)。しかし、同条が制定されてから既に四分の三世紀を経過し、監獄施設や処遇の改善は著しく進展し、特に第二次大戦後、民主的憲法のもとで国民の人権意識が高まつている今日においては、同条を必要とする客観的状況はもはや全く存しないということができる。
このことは、内閣が昭和五七年国会に提出した「刑事施設法案」が、面会について年齢による制限をしておらず、命令への委任も、面会の相手方の人数、面会場所、日及び時限、面会時間及び回数等面会の態様に関する制限のみにその範囲を限定する明文規定を置いていることからも明らかである。
更に、裁判所傍聴規則は、裁判の公開を前提とした上で、児童の傍聴について「法廷における秩序を維持するため必要があると認めるとき」に限りそれを制限できる旨規定しており、規則一二〇条のような幼年者と在監者との接触を教育的見地から回避するというようなことをしていないのである。したがつて、監獄において幼年者と対面できないこととする合理的、実体的根拠は見当たらず、同条は合理的必要性がないというべきである。
(3) よつて、規則一二〇条は、違憲であり、同条に基づいてなされた本件不許可処分は違法なものである。
(二) 裁量権の濫用
(1) 規則一二〇条は、仮に違憲でないとしても、制限的に適用されるべきであり、同条を恣意的差別的に適用したり、あるいは、個別の事情を考慮せず機械的に一律に適用したりすれば、その適用は違憲となる。すなわち、同条は、個別の事情を考慮してもその幼年者の面会を禁じざるをえない具体的で真にやむをえない場合に限つて適用されるべきであり、それ以外の場合は、規則一二四条により、面会が許可されなければならないというべきである。
そして、原告には、次の(2)ないし(5)で述べるとおり、幹との面会が認められて然るべき合理的で正当な理由があるのであつて、これらの事情を考慮しない東京拘置所長の本件不許可処分は、その裁量権を濫用した違法なものである。
(2) 原告は、前記爆発物取締罰則違反等の罪名により、昭和五四年一一月二一日、一審で死刑判決を受け、昭和五七年一〇月二九日控訴棄却の判決を受け、現在上告中の者である。
(3) 原告と益永スミコ(以下「スミコ」という。)は、昭和五八年四月一四日、養子縁組の届出をしてこれが受理され、同日以降、原告は、スミコの養子となつた。
幹は、スミコの長女である陽子の長女であつて、スミコの孫であり、原告とは三親等の血族関係にある親族である。
(4) 原告は、一二歳の時、実母と死別し、その後義母のもとで成育し、実母の子である妹と義母の子である弟がいる。
原告の家族は、原告のいわゆる連続企業爆破事件の容疑者としての逮捕が原因で一家離散の状態となつてしまい、従前居住していた東京都練馬区の地を離れ、地方に移り住まざるをえなくなつていたうえ、父親は、一時ノイローゼとなつて入院したこともあり、妹も日本の地を離れ、現在はアメリカに在住している。すなわち、原告は、逮捕直後には家族らと接触していたものの、右のような状態のため、まもなく家族との接触は絶えている。
(5) 原告とスミコとの関係は、陽子が死刑廃止運動にかかわつていたことから始まつたが、スミコらは、原告の刑事裁判を傍聴するうち、他の共犯者には家族の傍聴があるのに、原告には家族の傍聴が一切ないのに気付き、原告を励まし、原告との交流を深めていつた結果、養子縁組が成立したものである。
現在、スミコ、陽子、幹及び同人の弟が同居して家族生活を営んでいるが、スミコの家庭には成人の男性が存在していない。すなわち、原告は、幹にとつて、兄ないし父に代わり得る立場にあるものである。そして、幹の年齢を考慮すると、幹と原告の面会には、成育上、教育上の理由も十分にあるのである。そのうえ、幹の母親である陽子及び祖母であるスミコも、幹と原告との面会を望んでいるのである。
4 損害
原告は、本件不許可処分により多大の精神的苦痛を受けた。この苦痛に対する慰謝料は金五〇万円を下らない。
5 損害賠償責任者
東京拘置所長は国家公務員であるところ、違法な本件不許可処分を行うにつき故意又は過失があつたことは明らかである。したがつて、被告は、右損害について、国家賠償法一条一項に基づき損害賠償責任を負担する。
6 よつて、原告は、被告に対し、損害賠償金五〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和五九年五月二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による金員の支払を求める。
二 請求原因に対する認否及び反論
1 請求原因1の(一)ないし(四)の各事実は認める。
ただし、原告の面会許可申請は、東京拘置所長に対する単なる希望ないし意見の申立てにすぎないものである。すなわち、現行法令上、右のような面会許可申請に関して定めた明文の規定はなく、したがつて、そのような申請に対して東京拘置所長が回答すべき義務はないものである。しかし、原告の性向、幹の都合等を総合勘案のうえで、本件不許可処分を原告に告知したものであつて、この告知自体は、単なる事実行為にすぎないものであるから、これによつて原告の具体的な権利は何ら侵害されていない。
2 同2について
争う。
もとより人が人と会い、語りたい欲求は自然のものであり、そのような機会を理由なく奪われない利益は、基本的人権の一つとして尊重されるに値するものというべきであるが、拘禁された刑事被告人に関していえば、逃亡又は罪証隠滅の防止という拘禁目的上、本来外部の者と隔離して身体の自由を拘束されている関係から、外部の者との接見につき所要の制限を受けるのは当然であり、諸般の具体的な事情のもとにおいて、当該接見の許容が右拘禁目的を阻害し、監獄の正常な管理運営に支障を来すおそれがある場合には、これが制限されることもやむを得ないものというべきである。
3 同3(一)について
争う。
(一) 原告は、規則一二〇条は、憲法三一条の適正手続条項に違反する旨主張するが、同条は法五〇条の委任に基づく規定であつて、法五〇条は、監獄拘禁の特殊性に鑑み接見等に関する制限を命令に委任したものであり、他方、同条に定める制限は、刑罰あるいは刑罰に準ずるような制限ではないから、これが憲法三一条に違反していないことは明らかである。
(二) 原告は、また、規則一二〇条は憲法一三条、同一四条等が保障する在監者と幼年者の面会権を違法に制限する規定である旨主張するが、在監者が外部の者と接見する自由について、規則一二〇条は、事物を弁別する能力の未発達な幼年の接見者の心情を害さないという趣旨から規定されたもので、この制限は合理的な理由があるものであるから、これが直ちに憲法一三条、同一四条等に違反するとはいえない。
(三) 次に、原告は、「刑事施設法案」の規定内容について主張するが、法律案は両議院で可決したとき法律となるものであり(憲法五九条一項)、また、この可決した法律が現実に効力を発揮するのは制定され、公布、施行された後のことであり、また、「刑事施設法案」が将来成立、施行されたとしても、「法令不遡及の原則」により、施行以前の過去の事象に対しては原則として法の拘束は及ばないものであるから、原告の主張は失当であり、何ら規則一二〇条の違憲性を理由付ける根拠とはなり得ないものである。
(四) 更に、原告は、裁判所傍聴規則について主張するが、裁判所における傍聴と拘置所における面会とはおのずからその性格、態様等が異なるものであるから、原告の主張は失当であり、何ら同条の違憲性を理由付ける根拠とはなり得ないものである。
4 同3(二)について
(1)は争う。
(2)の事実は認める。
(3)の事実は不知。
(4)のうち、原告とその家族との接触が絶えているとの事実は否認する。原告が東京拘置所に入所以来、原告と実家族との接触は合計四八件あり、また、昭和六〇年一月以降においても二件あり、原告とその家族との接触が絶えているとは到底いえない。
(5)のうち、養子縁組の目的は争う。原告とスミコとの養子縁組は、原告の判決確定後の外部交通の確保を目的としていると思料されるものであつて、スミコの老後の扶養のためのもの、あるいは、幹の成育上、教育上のためのものとは認め難いものである。
5 同4は争う。
6 同5のうち、東京拘置所長が国家公務員であり、被告が損害賠償責任の主体であることは認めるが、主張は争う。
三 被告の主張
1 監獄の長の裁量権について
在監者の接見のうち一四歳未満の者(幼年者)との接見については、規則一二〇条が「十四歳未満ノ者ニハ在監者ト接見ヲ為スコトヲ許サス」と規定して、これを原則的に禁止し、監獄の長において、当該接見が処遇上その他に必要があると認める場合に始めて個別的に禁止を解除してこれを認めるとするのが、在監者と幼年者との接見制限の趣旨であり、規則一二四条は、このような禁止解除の判断を監獄の長の裁量にかからしめていると解される。
このことは、規則一二四条の規定の表現が、「……コトヲ得」となつており、「……許ス」とはなつていないことから明らかである。
したがつて、在監者と幼年者との接見について、例外的に禁止を解くべき特別の事由が認められた場合にのみ、監獄の長の個別的判断をもつてこれを許すことができるのであり、規則一二四条は規則一二〇条の例外的規定と解されるのであつて、このことは、監獄の長において幼年者との接見が当該在監者の処遇上その他に必要があると認められない場合はもちろんのこと、幼年者との接見が当該在監者の処遇上その他に必要があると認められるか否かが不明な場合であつても、規則一二〇条の本則に立ち帰つて、監獄の長に当該接見を許可しないよう命じているものと解するのが相当である。
これを本件についていえば、東京拘置所長は、原告と幹との接見に関する原告からの面会許可申請に対して、処遇上その他に必要があるとは認められないと判断して不許可の旨を口頭により告知したものであるところ、仮に右接見が処遇上その他に必要があると認められるか否かが不明な場合であつても、規則一二〇条の本則に従つて不許可とするのが相当であると解されるのである。
2 現在の取扱い及びこれを行うに至つた理由
(一) 東京拘置所における在監者と幼年者との接見に関する現在の取扱いは、規則一二〇条に基づいて原則的にこれを禁止し、処遇上その他に必要があるとして例外的に禁止を解くべき特別の事由が認められる場合にのみ規則一二四条を適用してこれを許すこととしている。具体的には、当該在監者の処遇上に必要がある場合に加えて、その他に必要があるとして例外的に禁止を解くべき特別の事由を、勾留が長期にわたつている者で面会の相手がその者の実子である場合であつて、進学、進級等子供の教育上の理由、配偶者の病気入院等子供の成育上の理由など特に事情があると認めた場合に、年間二回程度に限つて例外的に規則一二四条を適用してこれを許すこととして運用している。
(二) このような現在の取扱いを行うに至つた理由は、次のとおりである。
(1) 規則一二四条により例外的に禁止を解くべき特別の事由として「勾留が長期にわたつている者」をその要件とした理由は、東京拘置所が主として刑事被告人を収容する施設であり、刑事被告人に関して言えば、受刑者と異なりその収容期間が平均して短期間であつて、その処遇経過が判然としないところから、当該接見が処遇上その他に必要があるか否かを判断するには、それなりの期間を要すると判断したことによるものである。
(2) 同じく「実子であること」をその要件とした理由は、東京拘置所において、現在に比べて広く幼年者との接見を認めていた当時、いわゆる対監獄闘争を標ぼうする救援関係者らがその子供らを連れて来所し、当該子供を同伴の上で在監者と接見した後、東京拘置所に対するデモに参加させたため、これの実力排除を行うに際し危険がある等東京拘置所の管理運営に著しい支障を生じた事実があつたことから、昭和五三年一二月一一日、一旦幼年者との面会を規則一二〇条を根拠として全面的に不許可とすることとしたが、翌五四年八月二日、この措置を改め、例外的に禁止を解くべき特別の事由を設定した際、その一つとして「実子であること」の要件を加えた経緯があるものである。現在の東京拘置所においてこの要件を除外した場合、諸般の事情を勘案すれば、右同様の支障を生じる相当の蓋然性が認められるため、「実子であること」の要件は現在も必要であると判断していることによるものである。
(3) 同じく「教育上、成育上の理由など特に事情があると認めた場合」をその要件とした理由は、規則一二四条に定める「処遇上其他必要アリト認メルトキ」を合理的に解釈した場合、規則一二四条により例外的に禁止を解くべき要件としては、少なくとも右記の要件が必要であると判断したことによるものである。
(4) なお、規則一二四条により例外的に禁止を解くべき期間を「年間二回程度」とした理由は、在監者と幼年者との接見は規則一二〇条により原則的にはこれを禁止することとされていること、例外的に認める幼年者との接見については、その許可を春休み、夏休みなど長期休暇の期間中とすることにより、幼年者にかける負担を減少できることなどを総合的に勘案したことによるものである。
3 本件不許可処分の理由
(一) 原告が東京拘置所に九年間勾留されている長期勾留者であることは認められるものの、面会の相手である幹は原告の実子ではないこと。
(二) 原告が「面会許可申請」なる書面に記載した理由からは、幹の教育上の理由、成育上の理由など特に原告と幹との面会が必要であるという具体的あるいは積極的な理由が何ら認められないこと。
(三) 原告の右面会許可申請の理由のみをもつて規則一二四条を適用し、原告と訴外幹との面会を許可することは、現に法令の効力があり、かつ運用されている規則一二〇条の趣旨を全く没却してしまうことになるほか、原告の素行及び特異言動等から判断するに、原告は、実子でもない幼年者との面会が獲得できたとして、原告同様に対監獄闘争を行つている他の被収容者や外部の支援者にけん伝することが十分に予測され、東京拘置所の管理運営に支障を生ずるおそれが認められたこと。
(四) 原告の面会許可申請の理由は、要するに、幹との感情交流を十分なものにしたい、同人の顔を見たいという原告の願望からくるものと思料されるものであるが、感情交流については、文通でも十分に相互の意思疎通が計られるものであり、現に両者の間では一年半以上にわたつて文通している経緯が認められること、また、顔を見たいということについては、写真により相手の成長した容姿を確認するという代替方法もあり、現に原告は外部から差し入れられた幹の写真を同人の居房で所持していること。
(五) 最後に、規則一二四条を適用すべき積極的な理由、特に、東京拘置所の従来の取扱いや右記不許可理由を覆すだけの理由が他に認められなかつたこと。
4 以上のとおり、東京拘置所長は、本件不許可処分に当たり考慮すべき諸事情を総合勘案の上これを決定したものであり、何ら裁量権を濫用したものでないことは明らかである。
5 仮に本件不許可処分が違法であるとしても、東京拘置所長には、故意はもとより過失もない。すなわち、本件で問題となつている規則は、明治四一年に施行された司法省令であり、現在は法務大臣の所管するところとなつているから、同規則の改廃(又は改廃の不作為)は、所管の部局において検討され、法務大臣の責任において実施されることとなる。そして、このような場合における国家賠償法一条にいう過失は、法令の解釈適用の誤りについての過失と同様に考えるべきところ、法令の解釈適用の誤りについての過失についてみると、学説、判例が区々に分かれ、解釈に疑義のあるときには、その一説をとつて処理したことが結果的には違法であつても、その一説をとつた処理は過失に基づくとはいえないものである。ところで、被告は前記二3において述べたとおり、規則一二〇条が合憲であるとの認識を有していたものであるところ、本件においては、同条の想定する内容が憲法の一義的な文言に違反しているとか、同条の違憲性について学説、判例上異論をみないような状況にあるとはいえないのであり、したがつて、同条が合憲であることを前提としてした本件不許可処分につき、東京拘置所長には過失はないというべきである。
四 原告の反論
1 被告は、東京拘置所の基準変更の理由として、昭和五三年当時、獄外の者が子供を伴つて「デモ」(その実態は、何かのスローガンを叫んだ程度のものであつた。)を行つたのを規制する際に、支障が生じたためである旨主張している(三2(二)(2))。しかし、規則一二〇条に「デモ」規制の目的が含まれると解する余地は全くないうえ、昭和五三年当時から現在まで、面会所待合室等の施設内への子供の立ち入りは禁止されていない事実があり、また三歳以下の乳幼児は面会禁止の対象になつていない事実がある以上、被告が主張する基準変更の理由には何ら合理性を認められない。
2 次に東京拘置所が昭和五四年八月以降採用しているという三つの許可条件について具体的に検討する。
(一) まず、「勾留が長期にわたつている者」という条件であるが、どのくらいの期間を「長期」と判定するのか具体性がなく、あいまいである。施設職員の主観や恣意に左右される危険が大である。更に、親子が強制的に引き離された場合その苦痛は一週間でさえ(両者によつて)耐えがたい場合がありうる。したがつて、ことさら「長期」の勾留期間の経過を、子供面会の許可条件にするのは、非人道的である。
(二) 次に、「実子である」という条件であるが、面会禁止によつて受ける不利益や苦痛は、実子であるか養子であるか、あるいはその他の親族関係であるかには関わりがない。むしろ養子と養親の関係の方が、その家族関係の維持のために、十分な面会を必要とする場合が多いであろう。「実子」という条件は、子供の面会を許す事例を数的に減らすという以外の、いかなる意義ももたないのである。
(三) 第三の、「進学、進級等子供の教育上の理由、配偶者の病気入院等子供の成育上の理由など特に事情があると認めた場合」という条件については、本来、誰とでも面会できることを原則とする以上、このような厳格な条件を付することは不当である。むしろ原則と例外を逆転し、一応の合理的理由、すなわち、不当とはいえない程度の何らかの理由が認められれば面会を許可すべきであつて、これによつて、施設に何の支障や危険が生じる可能性もないことは、昭和五三年以前の東京拘置所の状況や諸外国の実態から客観的に明らかにされているというべきである。したがつて、この条件も、子供面会を数的に減らすことだけが目的の、いたずらに厳格な、不適切な条件というべきである。
(四) 以上検討したように、現在東京拘置所が採用している許可条件は、規則一二〇条の解釈を誤つた違憲、違法なものである。
3 仮に、被告の主張する三条件を前提としても、本件面会申請は、被告の主張する三条件のうち「実子」という点以外はすべて条件を満たしている。「実子」のみに限定することの違法性は前述のとおりである。
すなわち、原告はまず九年という長期の勾留(本件申請時点)をうけている点で、右2(一)の条件に該当することは明らかである。
また、原告は、二審で死刑判決を受け、死刑の確定を目前にしており、幹は、このような原告の身上を知りながら、原告を「利明にいちやん」と慕い、原告に一目会うために、本件面会申請不許可処分により面会を拒否された昭和五九年五月四日、七日以外にも多数回東京拘置所に赴いている。幹の母及び祖母も原告と面会させることを同人の教育上の観点から肯定し、幹を同伴して、面会に赴いているのである。にもかかわらず、面会を許可されず、一人待合室に取り残される幹の心情は原告宛の切々たる手紙からも窺うことができる。未成年者にこのような挫折感を味わわせ、家族の文字通り一員である原告に同人だけが面会できぬまま原告と永遠に面会できない状態となつた場合、その心痛は取り返しのつかないものといえよう。教育上、生育上の理由ももちろんであるが、原告も幹も、ともに面会したいと思つているのだという事実をふまえれば、東京拘置所の処分が如何に非人道的なもので、残虐とさえいいうるものであるかは直ちに理解されるはずである。
4 東京拘置所長の本件不許可処分は、以上のような諸点について何ら判断、検討することもないまま、東京拘置所の定めた形式的な三条件をあてはめ、単に幹が原告の実子でないことだけを理由にされたものであり、如何なる観点から検討しても、違法であることは明らかである。
第三証拠<省略>
理由
一 請求原因1の(一)ないし(四)の各事実は、当事者間に争いがない。
二 原告は、規則一二〇条が法五〇条の委任を超えたものであつて、違憲であると主張するので、まずこの点について判断する。
法四五条は、一項で、在監者と外部の者との接見を許す旨、二項で、受刑者及び監置に処せられた者については親族以外の者との接見を原則として禁止する旨規定し、また、法五〇条は、「接見ノ立会……其他接見……ニ関スル制限ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム」と規定している。そして、これに基づき、規則一二〇条は、「一四歳未満ノ者ニハ在監者ト接見ヲ為スコトヲ許サス」と、規則一二四条は、「所長ニ於テ処遇上其他必要アリト認ムルトキハ(右)ノ制限ニ依ラサルコトヲ得」と規定している。
右によると、法四五条は、受刑者及び監置に処せられた者以外の在監者については、外部の者との接見を無制限に許すものとしているようにも読めないではないが、法五〇条が接見に関する制限を命令をもつて定めることができると規定していることなどから考えると、法は、右の接見についても、一定の制限を許容しているものと解するのが相当である。
そこで考えるに、未決勾留は、刑事司法上の目的のため必要やむを得ない措置として一定の範囲で個人の自由を拘束するものであり、他方、これにより拘禁される者は、原則として一般市民としての自由を保障されるべき者であるから、未決勾留により拘禁された刑事被告人についていえば、逃亡又は罪証隠滅の防止という勾留の目的のためのほか、監獄内の規律及び秩序の維持という監獄の正常な管理運営保持の目的のため、必要かつ合理的な範囲内においては、身体的行動の自由のみならず、それ以外の行為の自由をも制限を受けることを免れないものというべきであるが、刑事被告人に対し右を超える制限を課することは、その地位に鑑み、他の利益に対する具体的な危険を避けるため以外には、許されないものというべきである。
しかして、法は、右に述べたところを当然の前提としているものであり、したがつて、刑事被告人と外部の者との接見について法は、右に述べた範囲内においてのみこれを制限しているものと解することができる。そうすると、刑事被告人につき、規則によつて定められる制限もまた、右の趣旨に則つたものでなければならないことはいうまでもない。
規則一二〇条を検討するに、同条の趣旨とするところは、監獄が反社会的な行為をした犯罪者等を拘禁している施設であり、そこで事物の弁別能力が未熟な幼年者を在監者に接見させることは、幼年者の心情を害する具体的な危険が大きいということに鑑み、このような幼年者の心情の保護を目的としているものと解されるが、幼年者の在監者との接見が常に幼年者の心情を害する具体的な危険を招来するものでないことは容易に考えられるところであるから、同条は、少なくとも、幼年者と刑事被告人との接見については、幼年者の心情を害する具体的な危険を避けるために、その範囲で、これを制限しているものと解釈されるべきものである。同条の規定は、文言上、いかにも一義的な規定ではあるが、規則一二四条と相俟つて、刑事被告人につき、右に述べた解釈を容れる余地があるから、規則一二〇条が原告の主張するように、法五〇条の委任の範囲を超えているものと断定することはできない。
よつて、この点の原告の主張は、採用しない。
三 裁量権の濫用について
1 請求原因3(二)(2)の事実(原告が死刑判決を受けており、現在上告中であること)は当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一三ないし第一五号証によれば、原告が刑事控訴審判決を受けた後の昭和五八年四月一四日、スミコ(大正一二年一一月六日生)と原告(昭和二三年六月一日生)との間にスミコを養親、原告を養子とする養子縁組が成立したこと、スミコの長女が陽子(昭和二二年一〇月三一日生)であり、その子が幹(昭和四八年八月二六日生)であることが認められる。そして、成立に争いのない甲第二二号証、第四二、第四三号証の各一、二、証人益永陽子の証言及び原告本人尋問の結果によれば、右養子縁組当時から本件不許可処分当時までの間、右スミコ、陽子、幹は、岩手県に在住していたが、その間陽子やスミコが何回となく原告に対し面会に来ていたこと、その際毎回幹も同伴してきていたが、いずれも面会は不許可となつていたこと、幹と原告とは右養子縁組成立前から文通をしていることが認められる。
ところで、証人吉野和博の証言及び弁論の全趣旨によれば、東京拘置所では、従来在監者と幼年者との面会をかなり広く認めていたが、昭和五三年後半ころ成田事件の支援者らが子供を同伴の上在監者と接見した後、子供とともに東京拘置所内でシユプレヒコール等をしたところ、これを排除するに際して子供について身体の危険が生じたことがあつたため、遅くとも昭和五三年一二月一一日から幼年者との面会を全面的に禁止したが、やがて昭和五四年八月二日この措置を改め、在監者と幼年者との面会は、在監者の処遇上に必要がある場合の他に、勾留が長期にわたつている者であること、面会の相手が在監者の実子であること、そして、進学、進級等子どもの教育上の理由、配偶者の病気入院等子どもの成育上の理由などの特別の事情があること、年間二回程度であることの条件を設定し、この条件にかなう者についてのみ面会を許可することになつたことが認められる。
また、同証言に成立に争いのない甲第六号証及び原告本人尋問の結果を合せると、昭和五四年八月二日以降現在の取扱いが定着しており、その取扱いを求めて幼年者との面会を希望する者は、事前に東京拘置所長に対して面会許可申請をし、その許可を受けるという慣行が成立していること、そして、原告は、請求原因1(二)のとおり東京拘置所長に対して幹との面会許可申請をし、その申請書の中に、原告と幹との関係や幹に面会したい理由等を記載したことが認められる。
2 そこで検討するに、まず、先に二において述べたとおり、規則一二〇条は、その文言にかかわらず、刑事被告人と幼年者との接見について、勾留の目的又は監獄の正常な管理運営保持の目的のため必要かつ合理的な範囲における制限及び幼年者の心情を害する具体的な危険を避けるための制限を定めたものであり、同条は、規則一二四条と相俟つて、右に述べたとおり適用されなければならない。そして、監獄の長は、刑事被告人と幼年者との接見につき申請があつた場合には、右に述べた制限に当たらない限り、規則一二〇条、一二四条を適用して、その接見を許さなければならないものと解すべきである。もとより、監獄の長には、殊に、監獄の正常な管理運営保持の目的に関し、その目的に支障を生ずるおそれがあるか否か、それを避ける措置として右接見を制限することが必要かつ合理的かといつた判断については、相当に広汎な裁量権が与えられていることはいうまでもない。
右の観点から本件をみるに、原告は、在監中に養子縁組をしたものであるが、養親であるスミコやその子である陽子とは何回となく現実に面会することができているところ、そうであれば、更に陽子の子である幹とも現実に面会をして親族としての心情の交流を深めたいと思うのは、自然の心情として理解できるところである。そのうえ、原告と幹とは、前記のとおり手紙による心情の交流をしてきており、幹の年齢(本件不許可処分当時が一〇歳)からしても、一応事理の分別をもつて原告との手紙のやりとりをしているものと解され、したがつて、幹が原告に面会したとしても重大な心情の不安を引き起すような事態は考え難いところであり、また、証人益永陽子の証言によれば、幹自身はもちろん幹の親権者である陽子も幹と原告とが面会できることを真に望んでいることが認められる。以上のとおり、原告と幹とが面会を希望しているのは、親族としての心情の交流を深めるというためであり、双方がこれを望んでいるものであるといわざるをえない。そして、原告と幹との双方に面会の希望があるにかかわらず、これを、東京拘置所長において、幼年者の幹の心情の保護を図るためすなわち右心情を害する具体的危険を避けるため面会を拒否すべき事情があるとは到底解し難いし、(右事情を認むべき証拠はない。)また、面会を認めると、勾留の目的又は東京拘置所の正常な管理運営保持の目的に何らかの支障をきたすとも解し難い。のみならず、本件では、東京拘置所長は、幹が原告の実子でないことをいわば唯一の理由として規則一二〇条を盾に面会を一切拒否しているものであるが、前述のごとき関係にある刑事被告人の原告と幼年者の幹との面会を拒否することは、同所長において、実子であれば、一定の要件のもとに面会を認めていることとの関係に照しても、極めて均衡を失するものというほかはない。
東京拘置所において、実子以外には幼年者の面会を認めない等の条件を設定したのは、前記のとおり幼年者をみだりに面会に同伴することによりその管理運営保持のため支障を生ずるおそれが生じたことが原因であつたことが認められ、一時に多数の幼年者の面会や同伴の申請があるなど具体的に右の支障を生ずるおそれがある場合には、もとよりその支障を避けるために必要な範囲で、その面会ないし同伴を制限することができるのはいうまでもない。しかしながら、右の申請が事前にされるとの前記認定の慣行を前提とする限り、右の支障が生ずるおそれがあるか否かの判断は、具体的な根拠に基づき比較的容易にすることができるものと考えられ、したがつて、一般的抽象的に右の支障のおそれがあるというだけの理由で、実子以外の幼年者の面会を一切拒否するというのは合理的な判断であるとは解し難い。なお、本件においては、全証拠によるも、具体的に右の支障が生じるおそれがあることを認めることができない。
そうすると、本件不許可処分は、東京拘置所長において規則一二〇条、一二四条の解釈適用を誤り、ひいては接見に関する裁量権の範囲を逸脱し又はその濫用をした違法があるというべきである。
四 過失
東京拘置所長は、刑政等に関する専門家として、法が、刑事被告人の行為につき、前記二に述べた範囲においてのみ制限できることを当然の前提としていること及び規則一二〇条、一二四条が、右の法の趣旨にそつて解釈適用すべきであることを知悉すべき責務があるものというべきであり、したがつて、規則一二〇条、一二四条の解釈適用、ひいては裁量権の行使を誤り、もつて、違法な本件不許可処分をした以上、それにつき少なくとも過失があつたものと推認すべきであり、本件全証拠によるも、この推認を覆えすべき事情は認められない。
五 被侵害利益と損害の発生
本件においては、原告の面会許可の事前申請に対し東京拘置所長の本件不許可処分があつたのであるが、現実に原告が右事前申請において面会を希望した者が原告との面会を希望していなかつたような場合には、東京拘置所長の本件不許可処分と原告の面会ができなかつたことによる精神的損害との間には、相当因果関係が認められないというべきであるから、本件不許可処分により原告に精神的損害が発生したというためには、面会を希望していた者が、本件不許可処分により、面会を断念したとか、後にその者が面会を求めたのに、本件不許可処分の結果としてこれが東京拘置所長により拒否されたとかの事態が発生することを要するものというべきである。
そこで考えるに、前記認定の請求原因1(四)の事実のとおり、幹は、昭和五九年五月四日と同月七日に原告に対する面会を求め、これが東京拘置所長によつて不許可にされた(この不許可は、前記認定の面会の事前申請の慣行から考えて、本件不許可処分の結果に基づくものであることは明らかである。)ものであるから、この段階(最初に不許可とされた五月四日)において、原告は幹と面会することができる利益を不当に侵害され、原告に精神的損害が現実に発生したものというべきである。
そして、本件に現れた諸般の事情に照すと、右精神的損害を慰謝するには、金五万円をもつてするのが相当である。
六 本件不許可処分は、東京拘置所長の公権力の行使によるものであるというべきであり、東京拘置所長が国家公務員であつて、被告が損害賠償責任の主体であることは、当事者間に争いがない。
七 よつて、原告の本訴請求は、被告に対し金五万円及びこれに対する不法行為による損害の発生した日である昭和五九年五月四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の部分は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担について、行訴法七条、民訴法八九条、九二条を適用し、主文のとおり判決する。
なお、仮執行宣言については、その必要がないものと認め、これを却下する。
(裁判官 鈴木康之 太田幸夫 塚本伊平)